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2010年02月22日
【「新しい農のかたち」の実現に向けた政策提言】(9)みんなで支えていく仕組みづくり
みなさんこんにちわ。
農業の政策提言シリーズも第9弾を迎えました。
農業は誰が担うか?ということで、個人(兼業)農家→企業→地域と対象を広げてきましたが、今回は、さらに対象を広げて「社会(みんな)]
という地平で考えてみたいと思います。
![]()
<農林水産省>からお借りしました。
それを考える上で、参考として、るいネットから「潮流5:失われた40年」を紹介したいと思います。
この国債発行→バブル経済、そしてその後のバブル崩壊から経済危機に至る流れの全ては、市場拡大を絶対命題とする特権階級の利権維持およびその特権の維持と固く結びついた彼らのイデオロギーが生み出したものである。 おそらく彼らは、市場拡大は自分たちの特権を維持するためではなく、国際戦争に打ち勝つために不可欠だったのだと主張するだろう。 しかし、それは本当か? 本当は、’70年、豊かさが実現された時、「市場は拡大を停止するしかなくなった」のだという現実を直視し、素直に『ゼロ成長』戦略を打ち出していれば、現在見るような経済危機に陥ることもなく、また国際競争力を失うこともなかったのである。 問題は、国債投入なしには市場を維持できないという事実、つまり自由市場など絵空事であって、現実には、国家市場(国家によって支えられた市場)しか存在しないのだという事実から目を背らし、「自由競争・自由市場」という幻想を捨てようとしなかった点にある。要するに彼らは、事実に反する(彼らには都合のいい)イデオロギーに固執し続けてきたのである。この世には、医療だけではなく、農業や介護や新資源・エネルギー開発、あるいは「なんでや露店」のような社会活動etc、市場には乗り難い(ペイしない)が、社会的に絶対必要な仕事(or活動)がいくらでもある。市場に資金を注入するなら、すでに飽和状態に達した物的生産ではなく、あるいは福祉と称して単なる消費者にバラ撒くのではなく、市場ではペイしないこれらの類的生産を刺激or支援する方向に資金を注入することもできた筈である。例えば、農業や介護etc各供給者の売上に応じて、その50~150%の支援金を支給するという形にすれば、競争活力を失うこともない。
これは、次のように云い換えることもできる。生産性が上昇すれば、そのぶん価格が低下する。従って、余剰の需要が生じる。これは、物的生産の側から見れば需要の縮小=不足であるが、人々はその余剰需要で類的供給を享受できるようになるということである。それに、物的需要を超えた供給力の過剰分までは、国家紙幣を発行して類的供給を支援しても、インフレにはならない。このように、物的需要(の喚起)から類的供給(の喚起)へと舵を切っておれば、日本経済はバブルにも経済危機にも陥らず、次代をリードする国家市場を実現し、世界にそのモデルを提示し得た筈である。
しかし、特権階級は「市場拡大を絶対」とするイデオロギーに固執し、900兆もの資金を市場に注入し続けてきた。これは、彼らが己の特権とそれを支えるイデオロギーにしがみ付いてきた結果であると云うしかない。彼らには、この失われた40年を総括して、せめて「自由競争・自由市場など幻想」であり、「現実には国家に支えられた市場しか存在しない」のだという事実くらいは、素直に認めてもらいたいものである。それさえ学習できないのなら、この失われた40年は全く無駄になる。
ここでまず押さえておくべき事は、人々の欠乏の中身が大きく変わってきた
という事でしょう。
「特に欲しいものが無い。」
という感覚が相対的に強くなっているのは明らかではないでしょうか。
今は物より心の時代と言われています。
物的な豊さを求めて、今までがむしゃらに
働いてきたわけですが、物が行き渡り、身の回りの生活には、以前と比べると困る事はほとんどなくなりました。
そうなると人々の意識は「自分」から「相手」とか「周り」
へと移っていきます。相手が喜んでくれると自分も嬉しい
とか、期待に応える
とか、そういった事に充足を感じるようになってきました。
ところが、今の社会を見ると、相変わらず市場拡大一辺倒でお金をばら撒いて無理やり経済をまわそうと躍起
になっていますが、結果としては借金が膨れ上がり、経済危機に直面しています。
つまりこれは、上記にあるような新しい欠乏があるわけなので、それに応えるような中身でないと、経済はまわっていかないという事ではないでしょうか。
つまり、現在は需要はあるが、供給がない状態!!
農業や介護や新資源・エネルギー開発、あるいは「なんでや露店」のような社会活動etc、市場には乗り難い(ペイしない)が、社会的に絶対必要な仕事(or活動)はいくらでもあります。こういった活動にお金をまわし、仕事として成り立つようにしていけば、新しい市場が出来ていくのではないでしょうか?
というのが今回の提言の主旨です。
農業には環境保全、若者・高齢者の役割、教育、医療、地域の結びつきなど、多面的価値
といわれるさまざまな価値を持っています。これらはまさに社会の問題を解決しうる可能性を秘めたものです。
社会の構造や人々の意識潮流を理解して、農業の可能性を明らかにして、みんなで支えていく仕組み(具体的には支援金制度)が求められているのだと思います。
投稿者 keitaro : 2010年02月22日 19:00
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コメント
>現在は需要はあるが、供給がない状態!!
需要というのはみんなお客さんになっちゃているってことでしょうか??みんなが当事者になっていく事が大事ってことでしょうか♪♪
>農業には環境保全、若者・高齢者の役割、教育、医療、地域の結びつきなど、多面的価値 といわれるさまざまな価値を持っています。これらはまさに社会の問題を解決しうる可能性を秘めたものです。
農業ってすごい!!
こんなに沢山の問題解決に繋がっていくんですね☆
投稿者 ちひろ : 2010年02月22日 22:08
ちひろさん、コメントありがとうございます!
>需要というのはみんなお客さんになっちゃているってことでしょうか??みんなが当事者になっていく事が大事ってことでしょうか♪♪
相手が嬉しいと自分も嬉しいという事だから、相手を喜ばせる=供給する側になるということですね。簡単に言えば、そういった新しい仕事を作り出していくという事です。
>農業ってすごい!!こんなに沢山の問題解決に繋がっていくんですね☆
もともと農村の営みでは、闘争(集団を守る事=食糧生産や村の役割を担う事)と生殖(出産、子育て、教育)が一体となっていました。それが現代は闘争と生殖が分断され、その事が多くの問題を引起していると思います。
だから、もう一度闘争と生殖をつなげていく事が問題解決のカギになります。
そのカギを握っているのが農業だと思います。
投稿者 せきや : 2010年02月23日 22:39
現在の農業へのお金の使い方は、農家の生活補助であったり、農業土木等への間接てきな使い方であったり・・・。とても新たな可能性を引き出す様な使われ方ではないですね。
農業がもつ可能性は、農産物の生産だけではなく、教育や福祉も含めた社会基盤。これからは社会基盤を作ることそのものが、産業になっていく時代なのだと思います。
投稿者 クマ : 2010年02月23日 23:06
現在の農業へのお金の使い方は、農家の生活補助であったり、農業土木等への間接てきな使い方であったり・・・。とても新たな可能性を引き出す様な使われ方ではないですね。
農業がもつ可能性は、農産物の生産だけではなく、教育や福祉も含めた社会基盤。これからは社会基盤を作ることそのものが、産業になっていく時代なのだと思います。
投稿者 クマ : 2010年02月23日 23:07
クマさんこんにちわ。コメントありがとうございます。
>これからは社会基盤を作ることそのものが、産業になっていく時代なのだと思います。
農業って、ほんとにやりがいのある仕事だと思います。一方で、今までのやり方が通用しないと実感します。
改めて、経営的にも、新しい農の形を実現していきたいと思いました。
投稿者 せきや : 2010年03月04日 22:46



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