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2009年09月03日

農業の歴史を紐解きながら、循環型社会を考える 4.メソポタミア文明はなぜほろんだのか?

こんにちわちわわです。
メソポタミアの続きです。
メソポタミア文明は、わずか2000~3000年で、北方のバビロニアの侵攻を受け滅んでしまいます。
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これは単に侵略されたのではなく、自然と共生せず、人工的に行った農業のせいで塩害により自滅していったというのが正しいのです。

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今を知るための歴史探求さんより

【シュメール文明は何故滅んだのか】

シュメール文明は、灌漑をやりすぎて塩害で滅んだという説が有力である。メソポタミア南部のような乾燥地帯で、灌漑を行い、大量の水を散布すると、灌漑用水は、いったんは土壌中の塩類を溶かしながら下方へと浸透するが、やがて毛管現象により上昇し、地表面にまで来ると、水分が蒸発するので、塩類だけが残る。そして、地表面に塩類が残留すると、強い浸透圧により、植物は根から水を吸収できなくなり、枯れてしまう。これが塩害である。

メソポタミアの刻文に「黒い耕地が白くなり」「平野は塩で埋まった」という記録があるから、塩害の被害は当時も深刻だったのだろう。シュメール人は、もともと灌漑で小麦を育て、それを輸出していたが、ウル第三王朝が滅んだ頃は、塩害に強い大麦を育てていたという事実がそれを雄弁に物語っている。シュメールの都市国家の一つラガシュでは、紀元前2350年から紀元前2100年にかけて、単位あたりの麦の収穫高が4割近く減っている [松本健 他:四大文明 (メソポタミア),p.72]。

安田喜憲は、ギルガメシュ叙事詩に描かれているフンババの殺害を引き合いに出しながら、メソポタミア文明による森林資源の搾取を指摘している [安田喜憲:森と文明―環境考古学の視点, p.45-55]。しかし、シュメール文明は、森林を伐採しすぎて滅んだわけではない。シュメール人が輸入していたレバノン杉は、ローマ帝国の時代になってもまだ豊富にあった。シュメール文明は、輸入する木材に不足して滅んだのではなくて、輸出する小麦に不足して滅んだのである

エジプト文明やインダス文明は、シュメール文明とは異なって、灌漑をやりすぎて塩害に苦しんだということはなかった。エジプト文明やインダス文明では、肥沃な土壌を運んでくる川を自然に氾濫させ、水が引いた場所に作物を植えていた。川が恒常的に氾濫するような場所だと、塩分が完全に洗脱されるので、塩害は起きない。

ところが、シュメール人は、こうした自然の恵みを利用する方法は取らなかった。シュメール人は、雨季が始まる12月に種を蒔き、5月ごろに収穫していたのだが、収穫の時期と洪水の時期が一致するので、せっかくの収穫が水に流されて台無しになるということがしばしばあった。彼らにとって洪水は恵みの水ではなくて、災難だった。またチグリス・ユーフラテス川は天井川なので、堤防を造っても決壊しやすかった。そこで彼らは、縦横に灌漑用水路を引き、流れを分散させ、洪水対策を兼ねた収穫増産を行ったわけである。

エジプト文明やインダス文明が自然を利用する文明であったのに対して、シュメール文明は、自然を克服する文明であった。そして人類で支配的になったのは、後者のタイプの文明である。シュメール文明自体は滅びたが、その文明のあり方は、後のメソポタミア文明、地中海文明、西欧文明に受け継がれて世界に普及している。エジプトも今では、伝統的な農業を止め、アスワンハイダムを建設して、大規模灌漑システムを導入し、塩害に苦しんでいる。パキスタンもインダス川流域で灌漑を行って、塩害を惹き起こしている。シュメール文明の教訓は生かされていないのである。【引用終わり】

たしかに非常に賢明だったシュメール人ですが、「おごれる者は久しからず」自然を操ったおかげで、自然にやりかえされたこの歴史を繰り返さないよう、メソポタミアの教訓にしっかり学ぶべきだと思います。

投稿者 tiwawa : 2009年09月03日 22:59

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トラックバック時刻: 2009年09月04日 22:09

コメント

>シュメール文明は、自然を克服する文明であった。

確かにそうですね。
同時に、彼らの労働観が影響しているように思います。

勤勉な日本人からは考えにくいのですが、
既にシュメールでは、労働は奴隷(労働者)が行うもになっており、市民にとってはその対価として得られる銀が重要だったようです。

また、王は人気取りのために「今年は耕作しなくていい」といった徳政令を出した記録があります。

投稿者 Quetzalcoatl : 2009年09月22日 23:20

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