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2007年08月31日
農・自然に触れる教育の需要がいよいよ高まってきた
こんにちは雅無乱です。
8月24日の日経新聞の夕刊に、“飛び出せ 教室:学習塾、体験授業が盛ん”と題した記事が掲載されました。
ファインズグループのリンクより
http://opentext.fines.tv/shou/akagi2007.pdf
記事には、東京都国分寺市の学習塾である「ファインズ」以外にも、中学受験に強い「日能研」(福島県で沢登りや炊事、湖に浮かぶ島で寝袋で寝るキャンプ)、近畿に展開する「稲田塾」(地引網や地元農業の現場見学)の事例があります。
受験で結果(合格実績)を出さなくてはならない学習塾で、実力UPの重要な時期である夏休みに、300人規模の生徒が毎年、自然体験やキャンプに参加しているというのが、注目点。
記事の解説にはこうあります。
一見、学力向上とは直接結びつかない自然体験を用意する塾が増えるなど、カリキュラムや教える内容が多様化する背景には「個性を打ち出さないと淘汰される」(ファインズ)という危機感があるという。
机での勉強一辺倒の教育の矛盾点を補おうとする需要が、いよいよ高まってきたのではないか、という印象を受けます。
国も、教育と農業への危機感からいよいよ動き出しましたしね。
http://news.goo.ne.jp/article/kyodo/life/CO2007083101000355.html
小学生が農山漁村体験 12年度までに全校へ拡大
<2007年8月31日(金)13:44共同>
小学生に農家などでの宿泊体験をしてもらう「子ども農山漁村交流プロジェクト」が、08年度からスタートする。総務、文部科学、農林水産の3省が31日、発表した。12年度までに対象を全国約2万3000の小学校すべてに順次拡大していく計画で、文科省は授業の一環として位置付けるよう学習指導要領の改定も検討している。社会性をはぐくむと同時に、地域の活性化に役立てる狙い。
さて、このブログでもたびたび紹介してきました、類塾の『自然体験学習教室』
基本理念から、最新の「夏合宿」での子どもたちの活躍まで、ぜひリンクを飛んで見てみてください。
☆「農業が持つ教育効果」について…「自然体験学習教室」の目指すところ
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投稿者 nanbanandeya : 15:00 | コメント (1) | トラックバック
2007年08月30日
腐ってしまう野菜ばかりになったのはなんで?(第2回)・・・窒素過多で何が起こる?
まるいちです。
前回の投稿「腐ってしまう野菜ばかりになったのはなんで?・・・野菜は本来「食べ物」であって「商品」として扱うと無理が出る!?」の続きです
。
まず「腐る」
と言う事の定義ですが、辞書の記述
では、
■ くさ・る 2 【腐る】 (動ラ五[四])
(1)食べ物が細菌の作用によって変質し、食べられなくなる。腐敗する。いたむ。
「肉が―・る」
(2)動植物の組織が細菌の作用で破壊され、悪臭を発したり、形が崩れたりする。また、うみただれることもいう。
「死体が―・る」「倒木が―・る」「指が―・る」
(3)物が変質してだめになる。木や金属などが、ぼろぼろになる。
「水が―・る」「釘が―・る」「土台が―・る」
・・・で、「野菜が腐る」と言う現象は上記の(1)(2)と一部(3)も含まれると思います。
一方、「枯れる」
と言う事は、
■か・れる 0 【枯れる】 (動ラ下一)[文]ラ下二 か・る 〔「涸(か)れる」と同源〕
(1)草木が水分を失って、生気がなくなる。
「植木が―・れる」「花が―・れる」
(2)(比喩的に用いて)本来の勢いがなくなる。朽ちる。
「やせても―・れても武士だ」
・・・で、「野菜が枯れる」と現象は(1)のように乾燥していく、と言う事だと思います。
私自身はまだ実験はやっていませんが、衝撃!本来野菜は、「腐る」のではなく「枯れる」!? と言う記事の実験結果やブログ「へなちょこ百姓日記」の記事「枯れる野菜、腐る野菜」 、それと日常的に栽培途中でも「窒素過多の作物は病害虫に犯されやすい」「もやしは冷蔵庫の中ですぐに腐る」と言う事実から「窒素過多が作物に与える影響」と言う観点から「腐ってしまう野菜が多いのはなんで?」を考えてみました。
まず、窒素は作物体内では、根の発育を助け、茎や葉っぱを伸長させ葉の緑色をよくする働きをします。窒素の施肥量を少なくしたり、土壌の有効態窒素が少ない圃場で作物を栽培すると、良品質の作物を多収することは一般的に難しくなってきます。しかし、逆に窒素を過剰に施用すると作物体は軟弱になり、病害虫の発生や徒長といった弊害が頻発する事も良く知られています。
作物は土壌中のアンモニアや硝酸(=窒素)を吸収し、アミノ酸をつくり、このアミノ酸からタンパク質を作ります。
【土壌中のアンモニア , 硝酸 → 根から吸収 → アミノ酸合成 → タンパク質合成】で、
水稲の栽培でよく注意されるのが窒素過多によるいもち病の発生や害虫の発生、倒伏です。

◆水稲の病気 いもち病◆ ◆水稲の害虫 ウンカ◆ ◆野菜の害虫 アブラムシ◆
この原因は、窒素過多になると菌や虫の好きな養分となる「アミノ酸」
や「アミノ酸アミド」
の含量が植物体内で高まる事にあって、これらを養分(エサ)にしている虫
がたかったり、菌
が繁殖して病気が激発したりします。それと、もうひとつの原因としては、窒素が多すぎる事でタンパク質を作るためにアミノ酸の合成が促され、そのエネルギー源として細胞壁を作るのに必要な糖類までが使われてしまい、結果として細胞壁が薄く
なり、外部からの刺激に弱くなる・・・病原菌や害虫の侵入を防御する力
が弱く
なってしまう為と考えられます。同じように物理的な力にも弱くなって倒伏しやすくなる・・・徒長と言う言葉でも表現しますが、これも異常に葉が大きく茎も柔らかくなる事を意味し、原因は同じです。ちなみに、植物は虫や動物のように甲殻や骨格を持っていないので、細胞壁の強度で自立しています。
この現象を簡単に言うと…
【細胞が弱くなり病害虫や外力に対する抵抗力が弱る。】
ということです!


ですから、第一の推論としては、
現代の野菜は基本的に窒素過剰であるため、細胞壁が弱くなっていて、保存するとまず、細胞壁が壊れて細胞液が流れ出し、これに腐敗菌が付きやすくなって腐る、或いは、細胞液が空気に触れる事によって酸化し変質する。これが、すぐ腐る野菜の正体ではないかと思います。
この辺りは、成分分析をすればすぐにわかると思います。
最初に紹介した ブログ「へなちょこ百姓日記」の記事「枯れる野菜、腐る野菜」の見解も同じようです。
それと、MT.Farm ~やまさんのお庭~ と言うブログに 「農法あれこれウォッチング」 と言うコーナーがあって、ここに「ナチュラルハーモニー」(無肥料栽培)に対する考察があるのでこれも参考
になると思います。
それで「枯れる」と言う現象に対して第一の推論から導き出される結論としては、
無肥料で栽培する事によって、野菜が窒素飢餓状態となり、細胞壁が硬くなって細胞液が蒸発するまで細胞膜が維持された結果、「枯れる」と言う状態を引きおこした、と考えるのが自然なような気がします。
野菜が腐るメカニズムについては窒素の過多だけが原因とするにはまだ早いと思うので、さらに追求したいと思います。
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投稿者 nara1958 : 22:14 | コメント (1) | トラックバック
2007年08月27日
近代化で失ったものを伝える教育 ~農業は近代化に負けない

田植えのころ…男の人が型枠を回して型をつけたあと、早乙女たちは苗かごを腰につけ田植えする。一年のうちで最も忙しいときで、子供たちも手伝いにだされる。仕事の間には、ひと休みして世間話に話がはずむ。千畑町郷土資料館蔵
農業という営みの目的は、所得増大だったのだろうか。
NPO法人『農と自然の研究所』代表の宇根豊氏(「天地有情の農学」著)が1995年に平均年齢72歳の百姓にアンケート調査をしたことがあるそうです。
それを紹介します。
「あなたの百姓としての人生で、いつごろが一番楽しかったですか。その楽しかったことは何だったのですか」 40人ほどの回答で圧倒的に多かったのは、 「昭和30年代の前半が一番充実していた。そのわけは、家族全員で仕事ができたから」。~ 応援 宜しくお願いします。いまもっとも失われているものこそ、人間の幸せの源泉ではなかったのか。
~
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投稿者 pochi : 23:27 | コメント (0) | トラックバック
2007年08月24日
日本の森林は、危機に瀕しているか?
●「消失」と「劣化」という森林の危機
「消失」とは、開発などにより文字通り森林自体が消失すること。
「劣化」とは、人工林などの手入れを怠ったが故に、森が不健康な状態になるケース。密植で林冠が覆われて林床に陽が注さなければ、草木も健全に育たず、生物多様性は低く、雨などで侵食されれば山崩れや森林崩壊もある。
伐採跡地に再造林がなされない場合、それが大面積だったり人工林の歴史が長いと、種子の供給がなされないので、森林は再生され難い、という。
ところで、地球規模の森林危機は、「消失」だが、日本に限っては(見てくれの)森林資源のストックはあるので、「劣化」の危機が上位課題といえる。
木を切って森林ができた(1)
木を切って森林ができた(2)
植物国家という視点に基づく、農業・林業そして社会統合
で浮き彫りになるのは、「江戸時代の里山は、中長期的視点に基づく森林資源の保全・育成を蔑ろにしなかったことと、手入れが行き届いたので林業として成立し得たが、戦後の人工林は深山にまで及んだので、手入れが思うに任せず先行かなくなった。」ということどろう。
それは、終戦による急激な木材需要に任せて成長量を上回る伐採・収穫を行ったことによる。大面積の皆伐や単一樹種の広範囲植林が、動植物の生態系バランスを崩し、生物多様性や防災機能の低下をもたらしたことは、過ちと認めざるを得まい。
投稿者 ayabin : 08:45 | コメント (2) | トラックバック
2007年08月23日
稲作の起源と日本語の起源
稲作の起源についてご存知でしょうか?
日本の稲作は共通の照葉樹林帯を有する中国雲南省が起源であると
長らく考えられていましたが、近年、遺伝子解析により、
揚子江流域に黄河文明に勝るとも劣らない古代文明があったことが
明らかになり、また、その文明が稲作を伴っていた事が判明したことで
雲南省起源説は揺らいでいるらしいです。
ところで、日本の稲作はどこから伝わってきたのでしょうか
この問題を日本語の起源から考えた人がいました。
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投稿者 shushu : 22:53 | コメント (2) | トラックバック
2007年08月21日
腐ってしまう野菜ばかりになったのはなんで?・・・野菜は本来「食べ物」であって「商品」として扱うと無理が出る!?
まるいちです。
衝撃!本来野菜は、「腐る」のではなく「枯れる」!? と言う記事が自然の摂理から環境を考える にあって、以前から気になっていたので「慣行栽培や有機栽培の野菜が腐って、無肥料栽培の野菜が枯れるのは、なんで?」を考えてみました
。
「無肥料栽培」についての詳しいサイトは「無肥料栽培」
「腐る野菜、枯れる野菜」については「プロも知らない 目からウロコの本物の野菜・調味料の見分け方」
をご覧下さい
。

実は、現在も「野菜がなぜ腐るのか?どのようなメカニズムなのか?」に関しては、良く解っていないようです
。
一例を挙げれば、私もタマネギを栽培していて収穫前に腐った、とか、収穫後にすぐに腐った、と言う経験があります
。この原因は一般的にリンの過剰だと言われていますが、リン酸過剰がどのようにタマネギの腐敗に影響しているのかついては、よく分かっていません。土壌のリン酸過剰によって鉄や亜鉛、マンガンなどの微量要素が土壌中でリン酸と結合→不可給態化する量が増えることが知られていて、その影響で葉中の微量要素含有量が低下(つまり、微量要素の欠乏)することで、腐敗につながっているのではないかと考えられているようです。
また、タマネギの腐敗そのものは、単にリン酸過剰によるものだけではありません。窒素の過剰(特に生育後半)、石灰(Ca)・苦土(Mg)の不足でも腐敗するし、病原菌による腐敗もいくつか種類があって、そのような要因が複合的に絡み合って、たまねぎの腐敗がおきると思われます
。
一般的な野菜に話を戻すと、日本の現代の農地はどこも窒素やリン酸過多である、と言われていますが
、様々な肥料成分が過多、或いは偏って農地に存在していて、野菜にとって必要な要素が不足、或いは、過多なまま収穫され、消費者の手元に渡って保存直後からその細胞が壊死していく
。その結果、余分な窒素成分等が溶出し細菌(腐敗菌)が取り付きやすいので腐敗しやすい
・・・と言う状況ではないかと思います。
また、最近の野菜や果実の殆どは、商品化に都合が良い(=味や形が良い等)ように品種改良が行われている(人為的に改良された)
ものが多いので、非常に弱い。抵抗力より、収穫優先・柔らかく・無毒化(えぐさ・苦味の排除)された植物が多く、人為的保護が無いと絶滅してしまう、元々自然界に存在する資格のない植物と言っても良いようなものが大半で健全な野生の植物に比べると非常にひ弱です
。
つまり、擬人的な表現をすれば非常に軟弱な子供が運動もせず、カロリーの高い食事ばかりして肥満体になったり、或いは栄養失調のような食生活を送ってやせ細ったまま老化した状態、だから、すぐに死んでしまう(腐ってしまう=寿命をまっとうできない)と言う感じではないしょうか?
野菜が腐るメカニズムについてはまだ、追求が必要ですが、肥料成分が過多になったり偏在したり、或いは品種改良が行われた背景は、農作物を全て「商品化する必要」があったためだと思います
。
味や形、色等を消費者の嗜好や流通、販売の都合に合わせて品種を改良し、肥料を多く入れる・・・野菜が単なる「商品」として扱われる事で不健全な「食べ物」が流通している結果「腐ってしまう野菜ばかりになった」と言う事だと思います。
冒頭に紹介した「無肥料栽培」のサイトに”「食」とは人を良くする”
事だと言うコメントがありますが”人を良くする品”=「食品」を「市場」の中の「商品」とし扱う事での弊害が余りに大きすぎると言う事だと思います
。
「無肥料栽培」と言う栽培方法は、近代農業が陥いっている「肥料の問題」を題材として根本的な「市場の問題」に対する問題提起として捉えると良く解るように思います。
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投稿者 nara1958 : 22:39 | コメント (3) | トラックバック
2007年08月18日
最高気温35℃ 猛暑日に稲刈りスタート!?
ここ数日、テレビのニュースでは、気温が40℃
を超えたり、観測記録で過去最高を更新
したりと、やたらと暑い盆明けですが、こんな中、いよいよ、今年の稲刈りがスタートしました。
しかし、ここ数年、毎度のことですが、「なんでこんな暑い時期に稲刈りせにゃならんのか?」
とつぶやきながらの作業です。
涼しい秋風が吹き渡る中、額ににじむ汗も心地良いなんていう稲刈り風景は、当地(伊勢地方)では、遠い昔のこととなってしまいました。
さまざまの理由、要因で、当地では、この時期の稲刈りが主流になりましたが、稲の特性からすると、決して好ましいことではありません。
それに加えて、作業する人間にとっても、最も負荷のかかる時期でもあります。
今時の稲刈りですからコンバイン(写真参照)という大型機械を使いますが、この機械のオペレータをこの暑い時期に1日やると、手作業よりも疲労します。(もちろん、手作業よりも数倍の仕事量はこなせますが。)機械作業だから楽ということは1つもありません。
体の弱い人や体調のすぐれないときにやると、晩御飯が満足にのどを通らないこともあります。
何せ、運転席(メーカーの説明書によるとコックピット)は、エンジン(熱源)の上にあるので、下から炙られているようなもの、そして、上からは、この時期の灼熱の太陽、加えて、午前中はほとんど無風。体感的には、高温サウナ
に近い。かと言って、早朝の涼しい時間帯には、稲に露が付いていてできないので、暑い時間帯にやらざるを得ません。
加えて、作業中は、運転席でほとんど立ちっ放しで、頻繁に前後進の切り替えやターンをするので、その度に体が振り回されないように、力を入れています。心拍数はF1ドライバー並み
に(ちょっとオーバーかな?)上がります。ダイエットには、良いかも知れません!
一方では、繊細さも要求される作業なので、案外、女性向きかも知れません。
地域で、一番早く稲刈りを始めて、一番遅い時期までやっている当農園の稲刈りは、これから先が長いですが、稲にも、人間にも無理を強いるこの時期の稲刈りに疑問を感じながら、燃料費の値上がりも気にしながら、今年も無事に(?)スタートです。
最後まで、読んでくれてありがとう。
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投稿者 naganobu : 22:31 | コメント (0) | トラックバック
2007年08月16日
江戸時代を取り巻く外圧状況
雨
が降らなかったり
日照
時間が問題になったり・・
今も昔も、農
はやはり自然との共存、闘いが大前提としてあるのだなとみんなの記事
を読んでいて感じさせられます
今回は、びんさんの記事
にも登場していた、最近るいネット
でも話題で、ずっと気になっている江戸時代
の話について書きたいと思います。
105056 なぜ、江戸時代の日本は滅亡しなかったのか?
154765 3R循環型社会は、江戸時代の循環型社会ではない
158333≪取っけえべえ≫と江戸時代の子供達は生産者同士の関係だった
こんなサイトをみつけました。リンク
1720年~1850年ころは、どうして人口がふえなかったのでしょうか![]()
あなたはどう思いますか。
ア そのころは、子どもがあまり生まれなかった。
イ 病気で人がどんどん死んでいった。
ウ 戦争や地震・火山の爆発
などの災害で死ぬ人が多かった。
エ ときどき作物![]()
![]()
の収穫がうんとへって、たくさんの人が餓死した。
あなたはどう思いますか。みんなの考えを出し合ってみましょう。
なぜ江戸時代に人口がふえなかったか
1850年は、まだ江戸時代(1603~1868年)です。
その江戸時代には、長いあいだ人口が3000万人という時期がつづいたのですが、どうして、120年もの間人口がふえなかったのでしょうか。
まず、江戸時代には、子ども![]()
があまり生まれなかったのか、というと、そんなことはありません。
そのころは、8人兄弟・10人兄弟ということもめずらしくありませんでした。いまよりもずっとたくさんの子どもがうまれているのです。だから、「理由ア」は、正しいとは言えません![]()
それなら、この時代には、戦争や地震や火山などの災害
が多くて、それでたくさんの人が死んでしまったのでしょうか。そんなことはありません。戦争
について言えば、この時代にはまったく戦争がありませんでした。地震や火山の爆発
はありましたが、ほかの時代よりずっと多かったとは言えません。ですから、「理由ウ」も正しいとは言えません。
実は、この時代には、たくさんの子どもが生まれても病気
![]()
で死ぬことが多く、あまり育ちませんでした。また、せっかく子どもが育っても、たがやす田畑がなかったり、その仕事がなかったら生きていかれません。
一時は乏しい収入をみんなでわけあって、なんとかくらすことができても、天候![]()
など関係で作物
の出来の悪い年がつづいたりすると、たいへんです。食べ物
がなくなり、栄養不良で病気
にかかりやすくなったり、文字通り餓死することにもなります。じっさい、江戸時代には35回もの飢饉があって、1年のうちに何十万人もの人々が餓死することがありました。
たとえば、1783年~1787年には冷害が
つづいて、とくに東北地方はひどい飢饉になり、津軽藩(今の青森県の約半分)だけでも、20万人もの人が飢え死にし、村中の人が死んでしまったところもあったそうです。実は、そんな心配もあって、子どもが生まれても、すぐに殺してしまったり、すてごすることもたくさんありました。
結局、1720~1850年のころの日本では、農地の面積や農業技術や社会のしくみの上からいって、3000万人くらいの人口しか生きていかれなかったというわけです。
投稿者 staff : 10:23 | コメント (0) | トラックバック
リン(P)ってなに?「貴重な資源・リンの循環から見えてくるもの」
まるいちです。
今年のメロン栽培では、土壌のリン酸が過剰で苦土欠が起こって、さあ、たいへん!
みたいな事がありました。結果的には被害に結びつくような事は無かったのですが、一部の株の5~6節目の葉の色が抜け、このままでは、光合成ができないじゃないか!
・・・どうするっ
て事で苦土を葉面散布したり
、潅水をまめにやり
吸肥させることでなんとか回復しました
・・・一安心です
。
しかし、これを機会に植物の3大肥料要素である「リン(P)」って何?を考えてみたいと思います。
リビングサイエンスアーカイブス”「貴重な資源・リンの循環から見えてくるもの」から抜粋、引用します。
●リンの科学的特性
リン(P)は元素記号でいうと15番目の元素。周期律表の位置で言うと第3周期の第Ⅴ族。窒素元素と同じ族に属し、反応性に富む固体の非金属元素。元素のうち生物活動に必須な材料となる物質のことは「親生物元素」と呼ばれているがリンもその一つ。海水中の元素としては多いほうから数えて19 番目で、人体中では6 番目に多い元素。体重70kg の人では700~ 780g 含まれている。1669 年にドイツの錬金術師ブラントが尿から始めて分離した。
常温・常圧下ではほとんど気体化合物の形をとらず、相対密度(比重)は2.70 で重いという性質が物質循環としてみたときにとても意味を持つ。 リンは天然では単体の形では存在しない。リン酸カルシウム、リン酸水素カルシウムなどのように他の物質と化合した形で存在している。また人工的加工物としては化学肥料、マッチ、有機リン化合物(パラチオン、サリン)無機リン化合物、ヒドロキシアパタイト、セラミックや人工骨、ガラス材料など肥料から工業、医療の分野まで幅広い分野に使われている。最近歯の再石灰化という機能を強調した歯磨き粉やチューイングガムが販売されている、そこに含まれているヒドロキシアパタイトもリン酸、カルシウム、水酸基の三種類のイオンから作られた結晶である。
●リンの生体内における役割
DNA(デオキシリボ核酸)は、私たち人間も含め生物にとって根幹になるもので、なぜなら体の構築や生命活動に必要なタンパク質を作るための設計図に相当する。DNAの構造は二重らせん構造といわれているが、その基本単位はヌクレオチドと呼ばれている。このヌクレオチドは糖とリンと塩基(4種類)からできていて、それが規則正しくつながっていくことで二重らせん構造ができている。 また外部から取り入れた栄養を、体内で使えるエネルギーに変換して保存したり、必要な時に使えるようにするためにはATP(アデノシン三リン酸)が必要。このATPは生体の「エネルギー通貨」とも呼ばれているが、この名前にもリン酸という言葉があるとおり、リンが含まれている。さらに歯や骨にも先に例を挙げたヒドロキシアパタイトの形でリンが含まれている。つまりリンがなくては生命がなりたたない。
●リンの大循環の不思議
基本的にリンは比重が重いので、重力にしたがって地球上に分布している。つまり低いところにたまりやすいということで、土中であれば地下深くに、海であっても深海の方にたまりやすくなる。だから、自然に任せていれば、リンは山から川などを経て海の底深くに行くということで一方的な動きしかない。 しかし長い地質学的な時間で見ればリンは大きな循環構造の中に入っている。海底の土中にあるリンが、海洋の中の湧昇流(深層の水が表層域へ動く垂直方向の流れ)に乗って表層域に移動したり、また海底火山の爆発によって突発的に海中、表層域に運ばれる。その表層域ではプランクトンが繁殖し、それを小魚が食べる。その小魚を鳥類が食べる。この過程で生物濃縮され、鳥の糞には高い濃度リンが含まれることになる。離島のサンゴ礁に海鳥の死骸や糞、魚や卵の殻などが数千年から数万年という長期間にわたって堆積して化石化したものを「グアノ」と呼ぶが、そのグアノを形成するためにはウミウなどの海鳥が、魚を食べて糞をするという重要な役割を担っていたのです。グアノはリンの含有率が高く、人工的に合成されるようになるまでは主要なリン資源でした。
ですから鳥類が海から陸にきて糞をしたり、同じ陸地でも、平野部から山間地や森林の間を移動し糞をするということは、低い方へ低い方へと一方的になりがちなリンの動きに対して、重力に逆らって空を経てリンをより高い場所へ運び上げるという循環のルートを形成しているのです。
魚類もリンの循環にとって重要な役割を果たしています。人間を含めた動物に食べられることによって、リンを地上に運びます。鮭などのように一生の間に河川と海の両方で活動する魚は、海洋で蓄えたリンを産卵のために川を遡上することで内陸深くまで運び上げ、熊をはじめとする大小の動物によって食べられ、糞や死体となって土にもどります。つまりそうした魚類も鳥類と同様、重力に逆らってリンをより高い場所へ運び上げるという循環のルートを形成しているのです。
また人類も漁業によって年間約1億トンもの水生生物を海水・陸水から地上に水揚げし食料や肥料として利用しています。これも重力に逆らった動きです。
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投稿者 nara1958 : 01:30 | コメント (0) | トラックバック
2007年08月15日
自然体験学習教室「夏合宿」~社会と繋がる力~

もうすでに彼らにはいつでも社会と繋がる力がある。
これ、子供たちと接していても、常に感じることです。
こっちが“面倒見てあげないと。。。”という意識でいると、ことごとく裏切られる。
「なんで、こうするの?」「これは、どうしたらいいの?」
彼らの発信で、日々、オトナ達がどれだけ思い込みでやり過ごしてきたかに気付かされます。無意識のうちに周囲の真似をする子供たち。発想も柔軟で、記憶力もオトナ達より断然いい。
だけど、今は家庭や学校に囲い込まれて、社会との接点が殆ど無いといってもいい。彼らが求めているものはそこから抜け出し、社会と繋がりたいということ。
この夏合宿では、常に「お客さん」が自分たちの前にいました。作った野菜も収穫も選別も販売準備も、その野菜を買いに来てくれるお客さんのため。この真っ当な外圧を受けて一つになっていく子供たちの成長ぶりをお届けします。
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投稿者 takuya : 08:33 | コメント (0) | トラックバック
2007年08月14日
アイガモ農法やってます
梅雨が明けて、急に暑くなってきました!皆さん、体調は大丈夫ですか?私は、常に汗だく
関谷です。
類農園では、アイガモ農法をやっています。お米は無農薬で作れて高く売れるし、アイガモ農法やっているって言うと、多くの人は、安心・安全を考えている生産者としてプラスに捉えてくれる人が多いです。アイガモ農法の認知度は思ったよりも高いようで、宣伝効果も持ち合わせています。しかし、この農法をやっていて思うところは、世話は大変だし、お米は高く売れても、役割を終えたカモの処理や、手間代を考えると、採算的にはそれほどオイシイものでもないような気がして、ドンドン増やしていこう!というコトにはなかなかなりません
アイガモ農法はこれからの可能性ある農法になりうるのか?⇒これからの可能性ある農法のカタチを模索してみたいと思うところです。
アイガモ農法・・・カモを田んぼに放し、草を食べてくれる。というあたりはご存知の方はいると思います。実際にやっている側から見える実態を紹介したいと思います。
投稿者 keitaro : 08:00 | コメント (0) | トラックバック
2007年08月13日
先人に想いを馳せて食生活を見つめ直す
すべての生き物は、あらかじめ食べるものが その種類まできめ細かく決められているものです。
しかし、現代人には「自分の身体だ。何を食べてもいいじゃないか」という奢りが少なからずあるような気がします。で、そのしっぺ返しが現代病=生活習慣なのではないでしょうか。これだけ様々な病気にかかるのなんて人間くらいなものかと。
人間のように他の生き物からみたら頭でっかちで「好きな食べ物」「嫌いな食べ物」と、余計なことを考えてしまう存在であってもの、やはりこの法則は全く同じ。
ある決められた植物を草食動物が食べ、その草食動物を肉食動物が食べ、その肉食動物の糞を微生物が食べ、その微生物が肥えた土を作り、そしてまた植物が芽生え・・・という具合に、自然はうまく循環している。
その共生の中で、長い進化の積み重ねを経て、それぞれに合う身体、爪や歯、そして酵素などを獲得してきた、という事実があるのです。

~ 応援 宜しくお願いします。
~
![]()
投稿者 pochi : 23:34 | コメント (1) | トラックバック
なぜ鳥獣害が激化するのか?2回目
農作物鳥獣害対策地域指導者育成研修育成講座の二回目です。
鳥獣害対策の基本は
鳥獣に餌さを与えないこと、そして人里が怖いところであると学習させることであるようです。
今回は、人里が怖いところであると学習
させることです。
鳥獣にとて一番怖ろしいと感じさせる手段は何かということですが。
投稿者 hakosuka : 01:33 | コメント (0) | トラックバック
2007年08月12日
7月の日照不足と長雨
【記録的な日照不足 気象庁、7月の天候まとめ】気象庁が1日まとめた7月の天候によると、本州に停滞した梅雨前線や台風4号の影響で曇りや雨の日が多く、東・西日本を中心に日照時間が記録的に短くなった。静岡市では平年の50%と過去2番目の少なさを記録。月平均気温は北海道と本州の広い範囲で平年を1度以上下回った。
まとめによると、日照時間は関東・甲信や北陸で平年の60%以下。東京都心は計80.6時間と、平年の55%にとどまった。静岡では平年の50%の76・4時間など、4カ所で過去2番目の短さを記録した。降水量は西日本から東日本にかけての太平洋側で激増。宮崎県の延岡で834.5ミリ、静岡県の清水で696.0ミリといずれも平年の3倍を超え、7月としては観測史上最多の月間降水量を記録した。
対照的に梅雨前線の影響の小さかった北日本の日本海側は平年の半分程度。北海道の羽幌ではわずか15ミリ(平年の15%)と過去最少だった。同庁は当初、ペルー沖で海面水温が下がる「ラニーニャ現象」の影響で太平洋高気圧が強まり、梅雨明けも早いとみていた。しかし、梅雨明けは軒並み平年より遅い結果となり、7月はラニーニャの影響が小さかったとみられる。
(産経新聞2007/08/01 22:04)
前回、奈良県の大宇陀地区における7月前半の日照不足について報告した正国です。
引き続き7月全体の報告です。
○7月の日照時間
・1~15日 5.6h 0.37h/日
・16~31日 59.4h 3.7h/日
・1~31日 65.0h 2.1h/日
・平年 121.5h 3.9h/日
前半が、いかに日照不足だったかを前回も報告しました。
後半、なんとか晴れ間がのぞきだした3.7h/日が平年値に近いわけです。
7月全体では、平年の約半分です。
○6・7月の降水量
今年 平年
・6月 166mm 219,9mm
・7月 353mm 182,8mm
6月は意外と雨は少なかったわけですが、7月に入るととにかく雨ばかりで日が照らなかった。梅雨明け後も雨が続き、平年の2倍近い降水量でした。
7月の日照不足と雨続きにより、野菜などに障害が出ています。
黒大豆では畑が乾かないので、耕運・畝たて・播種などの予定のずれ込み。
その後の生育でも、根はりが悪く成長も遅れています。
みなさんの農作物の状況はどうですか?
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投稿者 totokaka : 18:58 | コメント (0) | トラックバック
2007年08月11日
稲作の持続性と環境維持
こんにちは。
お盆明けからの稲刈りに向けて、準備に大忙し
の長谷です。
森林環境や獣害の記事を興味深く拝見しています。
ところで、水田稲作と言うと、日本を含め東アジアを中心に行われている極めて持続性の高い農業生産様式ですが、森林等の維持管理とも深く関係して来た歴史があるようです。

持続性の高い水田農業ですが、その地力維持に主要な役割を果たしているのが、
・湛水(かんがい)
・有機物の投入
この内、有機物の投入については、稲わらの鋤き込み(土に戻す)が主ですが、それに加えて、イネ科の雑草(しかも水田雑草でないもの)もかなりの量だったようです。
続きを読む前にクリックよろしく
低投入稲作を提唱されている橋川潮氏の著書
「21世紀への提言 低投入稲作は可能」富民協会によると
水田土壌中のプラントオパール(http://www.paleolabo.jp/puranntoeae.html)の解析によって、水田に、どれだけのイネ科植物が投入されてきたかがわかるそうで、
滋賀県の旧草津市、栗東町の水田6箇所(稲作年代は330~2000年と様々)で調査したところ
10a(1000㎡)あたり1年間に平均で
稲わら 430kg
イネ科雑草 240kg
という結果。
稲わらは、おそらく全部鋤き込んだのでしょう。稲わらを諸々の資材として利用する時代になっても、使い終われば、最終的には水田へ戻していたようですから、同様です。
しかし、驚くのは、稲わら以外に、イネ科雑草をこんなにも多く投入していることです。
以下、上記著書より引用
稲わら以外のイネ科植物の投入量も多い。これらのほとんどは水田雑草ではなく、周辺部の草を刈り、乾かし、刈り敷きしたとみるのが妥当である。付帯地に山林をもたない地域では、三里も離れた金勝(こんぜ、現・栗東町)の山から干草を運び、刈敷きしたことであろう。そこに、稲作にかけた労苦を垣間みることができる。つい半世紀前までのわれわれの祖先たちの生業がまぶたに浮かんでくる。つまり、 『一番の糧である米の持続的な生産活動が、そのまま、山や里の維持管理とも重なっていたということで、あらためて、自然の摂理に適った持続的な営みについて考える重要性を感じます。
さすがに、私の住んでいる農村でも、茶畑に、抑草目的で刈ってきた葦を敷いて、そのまま土に戻すという農家はあっても、山の刈草や腐葉土を水田へ入れることは、行われなくなっています。
投稿者 naganobu : 12:00 | コメント (2) | トラックバック
2007年08月10日
獣害問題
Hakosukaさんの「鳥獣害」記事に関連して・・・
月の輪熊の捕獲数が、2004年:2,241頭、2006年:5,185頭という記事を目にして驚きました。レッドデータブックに絶滅危惧種が載るたびに報道がなされ、野生動物の数は減っているとの印象があるだけに、意外です。イノシシ、シカ、カモシカ、野うさぎ等も確実に増えているらしいです。
◆野生動物が増えた原因
原因は生息環境がよくなったから、という記事を読んで、「なんで?」と思いました。「人工林の手入れを怠っていたから、野生動物の生息環境が劣化し、人里に下りてくるので獣害が増えている」と思っていましたので、2度ビックリという感じです。
「木を伐ると、その跡地に草が生える。だから伐採跡地は、ウサギ、シカ、カモシカなどにとっては格好の餌場になる。」というのです。
山林では、「造林地も伐採地も年とともに木が茂ると下草が減ってくる。→食べ物に困った野性動物は、木の皮を食べる。→その木が枯れると下草が生えて餌となる。」という悪循環が起きている、というんです。
イノシシの場合は、農地の放棄などが餌場とねぐらの提供になっているというから厄介です。つまり、「農地の放棄→ススキや笹の繁茂→土中にミミズが増える→餌場・ねぐらの提供となる→新たな餌場を求めて近場の耕作地に出没→さらに農地の放棄⇒イノシシの増加」と、こちらも負のループ・・・
(参考:「森林からのニッポン再生」田中淳夫著/平凡社新書)
投稿者 ayabin : 08:21 | コメント (0) | トラックバック
2007年08月09日
森林環境は何のため?
まるいちです。
びんさんの「割り箸問題を手掛かりに、森林環境を考える」シリーズ、興味深く読ませていただいてます。

農業をやりながらたまに、山に入り木を切り、間伐材を引き出し、炭を焼くのを手伝ったりしていますが、森の中の静寂やしんしんと語りかけてくるような微妙な空気の揺れ、何かに包まれ宙に浮くような浮遊感、は他では味わえない自然との一体感、充足感のような気がします。
昔から農家は山守りでもあって、先祖代々から引き継がれた山、村の共有の山や川、谷を守ってきました
。木の苗を植え、下草を刈り、間伐材を引き出し、そして腐葉土を畑や田に入れ肥料にする。薪を拾い、木の実を取り、たまには、山の幸としての獣や鳥を捕獲し食べる。自然を敬いながらも、自らの生活を守るために自然との共存を願い、自然に期待する・・・脈々と受け継がれてきた生活の知恵と工夫があります。
田舎に来る人は「自然がいっぱい!」と言って喜びますが、目の届く範囲で人の手の入っていないところはほとんどありません。田や畑はもちろん山も川も谷も先人達が、自然災害が起こらないよう、自らの生活に支障をきたさないよう、手をいれ世話をしてきたから今の状態が維持できているのです。
しかし、現在は植林しても、山の世話をしても、川の世話をしても、全然お金にならない、木を切って売ってもその手間賃分マイナスになってしまう、山や川の世話をしても誰も喜ばない・・・山も川も谷も、森林環境はどんどん荒れている状況です。
では、森林環境を守るのは何のためでしょうか?森林にできる木材などの資源を得るためでしょうか?もちろんこれも重要だと思います
。
しかし、一番重要なのは、自然の恵みを受けながらもその脅威を防ぐために森林と共存する、と言う事ではないでしょうか?

以前、るいネット に投稿した文章なので是非、読んでみてください。
「山や森林と環境保護との密接な関係」
また、この話のリンク元「きこりのホームページ」
にも森に関する様々な話が載っています。
びんさんが提案されている「森林との関わり方」には大賛成です。
森林は決して農村や山村の住民のものではないし、社会やみんなにとって必要な「森林との関わり方」を真剣に考えて行く時期に来たのだと思います。
森って大事!!!って思った人
ついでにこんなブログをやってる
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投稿者 nara1958 : 06:20 | コメント (0) | トラックバック
2007年08月08日
夏だ!スイカだ!
たくさん注文を頂いた中元用スイカの収穫・発送が終わり、やれやれと一息ついている小松です。
この時期になると作業の合間の休憩時間には、スイカで水分補給
です。売れ残りのスイカなので、味の方は“それなり”なのですが、大勢で囲んで食べると美味しく感じてしまうから不思議ですね。でもたまに甘いスイカに当たることもあって、その時のみんなの表情がまた楽しみだったりします。
スイカを立てて真ん中に包丁を入れる。「パシッ」という音と共に二つに割れて、赤い果肉が目に飛び込んでくる。片方の半分がごろりと転がる。見守っていた仲間たちから、ちょっとしたざわめきや歓声が起きる。それをみんなに当たるように手際よく切り分けていく。
スイカを食べる時って、口に入れる前からちょっとした“イベント”だと思いません?
暑い陽射しの下での作業はちょっと辛いですが、暑くなるほどスイカが美味しく感じられるし、休憩時間になると、そのスイカを求めて?みんなが集まってくる様子は、なんとも微笑ましいものがありますね。
という訳で、今回はスイカに関する記述を紹介したいと思います。
以下、「農耕と園芸 2006年7月号」より引用します。
スイカは「西瓜」と書き、中国ではシークウワと読む。西域から渡来した瓜ということで、その伝来経路を示している。中国で西域とは、今の西安の西北部、中央アジア地方で、シルクロードで知られる敦煌あたりを指すようだ。日本語のスイカという言葉は、このシークウワからきたとも言われている。わが国へは戦国時代の末期に九州に渡来し、全国的に普及したが、甘味が薄く、ウリのできそこないのようで、あまり歓迎されなかった。江戸時代の書物によると、「西瓜は町で売っていても女子を始め食べる人がなかった。寛文(1661~1672)の頃から、身分の低い人たちが徐々に食べるようになり、それが次第に大身、大名なども口にするようになり、結構な菓子となって、スイカも出世した」という意味のことが書いてある。
一般に外国から入ってきた珍しい食べ物は、初めは大名や貴族などの間で珍重され、庶民の口には入らず、年が経つにつれて下層階級の人達が食べられるようになって全国に普及するのが通例であるが、スイカはその逆のコースをたどったようだ。
投稿者 komayu : 18:42 | コメント (7) | トラックバック
2007年08月07日
プレゼントにお野菜☆喜ばれてます☆.。.:*・°
こんばんわ
今日も日記モードな
ヒヨッコ百姓です
もうじきお盆ですねぇ
もう皆さんお中元は済みました
私がお世話になってる類農園では、野菜セットや大玉スイカ、お米セットにお茶セットをお中元として配達しています
年々注文数は増え
大人気
正直、百姓になりたての頃は、自分が田舎の出身ということもあり、「野菜もらって喜ぶものなのかなぁ
」なんて少し疑ってかかってました
で・も
ホントに喜ばれるんですよねぇ
都会生まれで都会育ちの人だけではなく、元々は田舎だったんだけど、今は都会に住んでる人も…いってしまえば、今自分で作ってる人以外になら喜ばれる=ほとんどの人が喜んでくれる
私も友達にお茶やスイカ、野菜セットをその人に合わせて送っているんですが、反応がすごい良いんですよ
例えば。。。
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投稿者 sika0228 : 21:37 | コメント (2) | トラックバック
2007年08月05日
割り箸問題を手掛かりに、森林環境を考える(5)
「環境」を、「いのちを育む場」と捉えることで、一気に身近な問題となってきました。それは、多くの人々が潜在的に「環境問題をなんとかしたい」と感ずることの根拠としても合致するように思います。
●どうする? に向けての可能性探索
昨今の環境問題は、1960年代の「公害問題」のように加・被害者の別が明瞭でなかったり、地球温暖化問題のように因果関係を実証しにくかったり、さらには貧困や飢えのように本能を直撃しないので、分りにくくなっています。
薄々とは潜在思念で捉えることのできる環境問題も、核心に迫り確信に至るには、事実を紡いで論理だてて考えることが必要です。そして「問題事象の発掘・構造化→対応方針化」には観念が必要です。
幸いなことに、るいネットには社会板・生活板・史論板などがあり、社会統合の要素を網羅しつつありますし、その他インターネット上の見識や認識を持ち寄って、突破口を検討し合っていけば前進可能だと思います。
●叩き台の提起
皆さんと検討を進めるための叩き台を、一旦、思いつくままですが、提起してみます。
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投稿者 ayabin

で人がどんどん死んでいった。
や地震・火山の爆発
などの災害で死ぬ人が多かった。
の収穫がうんとへって、たくさんの人が餓死した。
があまり生まれなかったのか、というと、そんなことはありません。
で死ぬことが多く、あまり育ちませんでした。また、せっかく子どもが育っても、たがやす田畑がなかったり、その仕事がなかったら生きていかれません。
など関係で作物
がなくなり、栄養不良で病気
つづいて、とくに東北地方はひどい飢饉になり、津軽藩(今の青森県の約半分)だけでも、20万人もの人が飢え死にし、村中の人が死んでしまったところもあったそうです。実は、そんな心配もあって、子どもが生まれても、すぐに殺してしまったり、すてごすることもたくさんありました。