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2007年02月28日
ムシゲルについて調べてみました。根圏は微生物と植物の共同体!?
まるいちです
。こまつさんの投稿でムシゲルが気になったので調べて
みました。
●ウィキペディアでは、
植物の根、特に先端部分はムシゲルと呼ばれる粘液性の物質で覆われていることがある。これは根の表皮細胞から分泌された粘液や土壌中の微生物などからなる複合体で、根を保護するだけでなく、特殊な物質代謝の場になっていると考えられている。
●にわか百姓’webより引用。
・「土作り」l
植物(野菜種)の根(から出る酵素やムシゲル)が自分に必要な微生物群を呼び寄せ、その植物自体が永続的に生殖活動出来る様な環境を作り上げ、微生物の生態系を植物がコントロールしてると言っても過言では無いのです。植物は周りに生える雑草さえも時の経過でコントロールしてしまう力があります。 自然循環の一環の事で、自然な事です。即ち、無施肥、自然循環の栽培法では連作が可能。 ・・・と言うよりは連作する方が自然であり、健全なのです。
ですから、収穫した残根はそのまま土中に残します。 正に連作の為の最強の有機物になる訳です。
因みに、施肥農法よりは養分を求めて根張りが格段に良いですから、土中に残る残痕量もカナリの有機物量ですし、栽培中のムシゲルの量もその植物体の約30%と言われてますので、合わせると相当な微生物のエサ量と養分量になります。
それでも土壌分析では慣行農法水準数値は出ませんが、コレに太陽の光、水、空気、微生物の活動を加えると、その植物が成長するだけの栄養分が土や植物自体から作りだされる関数計算式が生まれます。 マサに自然の威力、神秘です。・「微生物」
微生物の生態系で面白いのは、普通の動物の食物連鎖の様に、大きいモノ、強いモノが必ず支配すると言った世界でなく共存を果たして生態系を保ってます。 一例を挙げると、放線菌群の一部は糸状菌を捕食し、糸状菌の繁殖を抑えます。これは静菌作用と呼ばれてます。 微生物達は環境の変化により、増えすぎたモノを抑え、衰弱したモノを助長し増やすといった行動を、自然の土の中で自らが行いながら生きてます。
植物は、彼らが作り出す栄養素によって生きてますが、『土作り』にて書いているように一方的に栄養を貰うだけでなく微生物のエサとなる酵素やムシゲル、根から剥がれ落ちる細胞(有機物)など、様々な供給を怠りません。だから、植物の根の付近には微生物が集まり(根冠微生物と呼ばれる)植物とも共存共栄を果たしながら生きてます。そして微生物は自分達や植物の住み易いように土を団粒化させ、保水性を高めて乾季に耐え、排水性を高めて大雨に耐え窒素固定し、エサを確保しながら、自らの生活圏を確保しているのです。 土が団粒化する事で、酸素も確保され植物の根も栄養、水分を吸収し易く健全な生殖活動が保たれる事になり、その場所で永続的に生きてゆくことができます。その植物の種類によって、根から放出される分泌物は違い、根に集まる微生物相は違ってきますが、植物は自分の都合の良い微生物を呼び寄せる事ができ、微生物の方もその場にいれば、都合よく生き延びられるという訳です。
■植物が育つためには、栄養分
は必要!土壌の根圏では、植物と微生物達との共同体 :D があるのかもしれないなぁ!と思いました。ますます、興味が湧いてきました
。
窒素や燐酸、カリ、そして微量要素はどういう循環をしているのか?どんどん調べてみたいと思います。
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投稿者 nara1958 : 00:10 | コメント (4) | トラックバック
2007年02月25日
農家の活力源
以前も同じようなことを書きましたが、僕自身が働いているところにいる、周りの農家さんについての話です。
周りで農作業をしている農家さん。どの方を見ても元気ハツラツ
なんです。
なんでこんなに元気なの?あなたの活力源はなんですか??
今回は、そんな話です。
私がここで表現している「周りの農家さん」というのは、昔は会社で働いていて
、定年後、農業に従事されている方々で、70~90歳くらいの方たちのことを指しています。
さすがに高齢
なので、大規模ではやっておらず、おじいちゃんたちのほとんどは基本的に赤字です
。農作物の売上よりも機械代の方がはるかに高く、お米を買った方が確実に安く済みます。
極端な言い方をすると、お金を払って農業をやっているようなものです。
なんでそこまでして、農業をやるのでしょうか?農業に向かわせているものとは??
非常に気になります。
赤字であるので、とりあえず、お金もうけ
でやっているわけではないようです。
先祖代々の土地を守るため
、ということもあるでしょう。
会社勤めが終わって他にやることがないから
、ということもあるでしょう。
いろいろ出てくるけど、う~~ん。。。あのハツラツさはどこからくるのか??
ところで、作った農作物(米)はというと、①自分の家で食べる②知り合い・親戚にあげる③頼まれていたところに売る④余ったら米卸に売る。ということをしているようです。
つまり、誰のために作るのかはっきりしている。このことが1つのポイント
になるのかなと思います。お米を待ってくれている人、食べてくれる人、喜んでくれる人、思い浮かぶ顔はいつも具体的にイメージ
できますね。おじいちゃんくらいになると、孫
に弱い人が多いので、特にお孫さんが自分の作ったお米を食べて喜んでいる姿は、、、、もうヤバい
と思われます。。。
そんな、待ってくれている人のために、食べてくれる人のために、喜んでくれる人のために、今日もガンバっていいもんつくるぞ~!!!というあたり、つまり、期待に応えることが活力源
になっているような気がします。
そんな農家さんたちが一堂に口を揃えて仰るセリフがあります。
「ここの米はうまいに~~」(←方言:うまいぞ~)
みんな言います。自信満々に。
有機肥料や無農薬栽培とか、特別な農法をやっているわけでもなく、至って普通の作り方をしているようなのですが、丹精込めて作ったという自負がそう言わせているのでしょうか?
どこまで本気で言っているか分からないけど、食べる側からすると、自分のことを想って作ってくれるなんてすごく嬉しいこと!
そんな想いが伝わってきて、その想いをかみ締めながら食べるお米は、食味以外のおいしさが詰まっている
と思います。
自分の仕事っぷりを振り返ってみると、「仕事だから!
」とか、「やらなきゃ!
」とかでなんとかやっていた気がします。なんのためにつくるのか、誰のために作るのか、そんなところはほとんど考えられてなかったと思いました。
食べてくれる人のために。「美味しい!」っていってくれる人のために。
そんな気持ちをもって、そんな気持ちが伝わるようなお米を作っていきたいな~
、と周りの農家さんを見てしみじみ思いました。
投稿者 keitaro : 13:33 | コメント (4) | トラックバック
2007年02月24日
新規定住者向け「百姓養成塾」
団塊世代、若者を問わず、新規就農、農村定住の先駆的な事例はないかと探していたところ
2月20日の日本農業新聞に、新規定住者向け「百姓養成塾」というのが載っていました。
「新規定住者向け「百姓養成塾」 村の仕組み教えます/和歌山・那智勝浦町(2月20日)」
http://www.nougyou-shimbun.ne.jp/modules/myalbum0/photo.php?lid=90&cid=1
続きを読む前にポチっとよろしく!
上記より引用
和歌山県那智勝浦町の色川集落は、定住希望の若者に集落の仕組みを教える「百姓養成塾」を4月に開講する。地元高齢者が“先生”になって日常的な共同作業やしきたり、伝統文化を教える。同集落は都市部からのIターン(新規定住者)が全住民の3分の1を占めているが、新旧住民のつながりは薄かった。塾によって交流を深め、地域活性化を図る構えだ。色川集落全9地区の代表者で構成する色川地域振興推進委員会は、1991年に設立。旧小学校舎を活用した宿泊施設「籠ふるさと塾」を拠点に、Iターン希望者の農村体験から家探し、定住まで支援を続けている
。
また、以下でも定住促進の取組事例として紹介されています。
http://www.kinki.maff.go.jp/kinki/pubric/green/jireisyu/natikatuura.pdf
注目すべきは、
・高齢化率50%を超える過疎の村で、Iターン人工が、総数466人の内、144人、小学校の児童数だけだと8割以上。
・世帯数では50世帯を超える。
・更には、Iターン者が、区長(自治会長?)や各団体の責任者を務めているということ。
これらは、もともとIターンの核となった耕人舎(有機農業を目指した団体?)だけではなく、地域住民、行政ぐるみで、農村体験企画、定住のための家探しetc.に一体となって取り組んで来たことが成果として結び着いたということだと思います。
そんな、先進的な事例でも、今回の記事の「百姓養成講座」の意図する「村の仕組み教えます。」のように、新規定住者、希望者に対しては、集落の当事者としての意識をもってもらう、共認域に巻き込んで行くということが、常に必要とされるということではないでしょうか。
そうしないと、集落の協働作業に出てこなかったり、上手く溶け込めなかったりということになります。
特に、団塊世代は、そうだし、若い世代でも、個人(夫婦)単位で、新規就農、Iターン定住、ということになると、自分なりのライフスタイル、自己実現的発想になりがちです。でも、自己完結的なところに陥っては、結局、本人達も、地域としても、人口は増えても、活力再生につながらない。
やはり、地元出身者、Iターン者一体となって、地域、集落の課題が共有されて、役割が与えられること、そして、その場作り
が何よりも必要なのではないでしょうか。
投稿者 naganobu : 22:26 | コメント (0) | トラックバック
2007年02月23日
自然現象と農業の関係

【種まき爺さんと婆さんの雪形】
今年の冬はホントに暖かかったですね。
農業をやっていると気候の変化にはかなり敏感になりますが、近年は全く予測できません。
もう少し、自然とうまく付き合っていくことができれば、農作物にも環境にも多大な損害を出さずにすむのになぁ~と思う、今日この頃です。
さてさて、
その答えは自然の摂理や先人の教えの中にあるでしょうか?
今回は、自然現象と農業の関係について時代を遡って追求してみようと思います。
投稿者 takuya : 01:18 | コメント (4) | トラックバック
2007年02月21日
値崩れ野菜の有効な利用法を募集中!
ごぶさたしてます。雅無乱です。
畑に埋まったまんまの野菜をトラクターで踏み潰す映像、みなさんも一度はTVで見たことがあるのではないでしょうか。
野菜があまりに豊作になってしまうと、市場で値崩れして、荷詰めしてトラックで運搬する人件費や燃料費さえ出ないことがあります。そういう場合は、荷詰めして運ぶだけ損だから、そのまま畑にすきこんで肥料にしてしまおう、というのがあの「野菜を踏み潰す」光景なわけですが、「食べ物を粗末にするとバチがあたる」と常々教えられてきた私は、以前からそれを見るたびに「もったいね~」といたたまれない気持ちになっていました。
このたび、農水省が、この値崩れ野菜を捨てなくてもすむアイディアを募集することになったそうです。
http://www.maff.go.jp/www/press/2007/20070216press_1.html
締め切りは2月23日(必着)だそうです!(あと2日しかないのですが…)
農園の現場で働いていらっしゃるみなさん、何か現場だからこそ思いつくアイディアってありませんか?あったらぜひ送ってみてください。
・電子メール
アドレス:jukyuuchousei_iinkai@nm.maff.go.jp
・郵便
〒100-8950 東京都千代田区霞が関1-2-1
農林水産省生産局野菜課 企画班 宛
・ファクシミリ
03-3502-4133
私はといえば、最近はやりのバイオエタノールくらいしか思いつかないのですが、それさえ野菜では難しそうですし、そういうプラント造る方がかえってお金がかかりそう…>_<)。目先的だしいまいちですね。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=87412
やはり、ここの投稿にあるように、生産者と消費者との信認に基づく流通関係を構築していくのが本道でしょう。この「値崩れ」のケースの場合、その信認に基づく流通関係構築のための具体的方策にはどういうものがあるでしょうか?
現場の声をぜひ聞かせてください。
投稿者 nanbanandeya : 13:55 | コメント (4) | トラックバック
2007年02月20日
無肥料栽培は「種」の時から始まっている☆
無肥料栽培について、盛上ってますねぇ
百姓心をくすぐる無肥料栽培について、ヒヨッコ百姓も便乗しようと思いまぁす
無肥料栽培を実践されている農家を紹介したサイトや無肥料栽培について紹介されたサイトがいくつかありました
「無肥料栽培の驚異」
「有機野菜」
「健友館」
など
その中で、とても意味深な証言(
)がいくつもありました
F1は、化学肥料とセットでないとうまく育たないってことがわかって
このF1種は農薬・化学肥料を使用する事を前提として作られています。
マメ科も里芋も、無肥料だと連作できるっていうのか? おまけに、そのほうが収量が上がる
無肥料栽培で何年か自家採種すると、肥料の毒素が抜けるから、虫も病気も付かなくなります
などなど…
特に“F1と化学肥料はセットで、それなしでは育たない”っていうところがビッッックリ
実は今主流のF1品種って、良いことばかり言われてきたけど、実は曲者だったのかぁ
そもそも“無肥料栽培”という農法は以前から存在していたけど、今まで広まらなかったのは、やはり経済性を重視した近代農法が主導権を握っていたから(作物を流通させる為の規格・品質・量産が求められたからこそ!)。そして近代農業の賜物こそ、F1(一代交配種)と化学肥料・農薬のセット☆
どうやら無肥料栽培のポイントの一つに、肥料に頼らなくてはいけないF1品種。。。で・は・な・く、自家採取(固定品種)があげられそう
引用にもしたように、自家採取していくと、虫も病気もつかづ、連作もできて収量も
する
これって「種」がその土地に根ざした最適な形になったってこと(〃∇〃)
やっぱり自然の摂理を感じちゃいますね~
一緒に自然の摂理を感じちゃった人も、無肥料栽培応援してくれる人も、ポチポチ
っとよろしくお願いしまぁす
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投稿者 sika0228 : 23:26 | コメント (0) | トラックバック
2007年02月17日
肥料の自給率
食料自給率には農産物の肥料自給率も考慮に入れた方が良さそうです。
農水省のカロリーベースの食料自給率の算出方法では、畜産物には飼料自給率を乗じて国内生産量を算出しています。しかし農産物では、畜産物の飼料に相当する肥料を考慮しないで国内生産量を算出しています。
これってなんかへんです。
投稿者 hakosuka : 20:32 | コメント (1) | トラックバック
2007年02月15日
「枯れ木に花を咲かせましょ~」はウソではなかった!灰のヒミツ
『はなさかじいさん』
日本昔話では定番中の定番、善良なおじいさんが
かわいがっていた犬の遺灰を枯れ木に振り撒くと花を咲かせたというお話です。
灰を撒いただけで、なんで花が咲くねんっ!と思っていましたが、
実はこれにはちゃんとした理由がありました
灰に含まれる主な成分は、カリウム、カルシウムで、他にも鉄や亜鉛などが微量含まれています。
(これらの成分は、いわゆるミネラルです!)
肥料の三要素としてよく言われるのが、窒素、リン酸、カリウム。
これらの主な作用は、次のようになっています。
窒 素 : 植物を大きく生長させる
リン酸 : 開花結実に関係する
カリウム : 根の発育と細胞内の浸透圧調整に関係する
カリウムを含む灰を撒く事ですぐに花が咲くわけではありませんが、
その前段としての根の生長を促進してくれるわけです。
農業従事者の方々には当たり前の知識なのかもしれませんが、
灰が肥料だったとは驚きでした。
そう言えば、焼畑農業ってのもありますもんね。
自然農法と合わせて、肥料というものについてもっと調べてみたいと思います。
コータローでした。
投稿者 shushu : 21:22 | コメント (2) | トラックバック
2007年02月14日
病虫害の根本原因は?~作物の病虫害との関係
しばたさん、正国さん、お互いに気付きがあったようですね。
このサイトの管理者の方は、毎日の農作業や作物を観察するというご自身の体験の中から、このような農法の確信を得たのですね。
本当に学ぶべきところがたくさんあるなあ、と痛感している小松です。
という訳で、「無肥料栽培(有機農法の、その先の世界へ・・・)」を読み進めると、またまた目からウロコ
の認識に遭遇しました。
引き続き引用します。
作物の病虫害との関係なるほど~!言われてみれば、確かにそうかも・・・。
現在の農業は、化学肥料農薬を用いた農法と、有機農法に共通して、病害虫の問題は避けては通る事の出来ない問題です。そして私たち人間も同じ事で、医学にとって病気の問題を解決することは予防医学と治療医学の両面で、いつまでも終わる事のない課題になっています。しかし、人間のもつ「自然治癒力と浄化作用」という視点に立ったとき、作物のあらゆる病虫害も、人間の病気と一致した現象であることに気付きます。作物を観察していくうちに、植物にとっての病虫害の根本原因は、植物自身にあるのではなく、植物が根から吸い上げたものに影響されているのではないかということに気づいたのが第一です。
投稿者 komayu : 18:30 | コメント (6) | トラックバック
2007年02月13日
「肥毒(ひどく)」=肥料の害、という考え方
我々は作物を栽培する時、「必要な栄養分として、どの肥料をどれだけ与えるのか」を基本的な考え方にしています。
しかし、小松さんが自然が教えてくれる事~無肥料栽培の原理や地力はおちないか?~無肥料栽培の原理(2)の投稿でも展開されている「無肥料栽培」という農法を調べていくと、
「肥毒(ひどく)」=肥料の害、という考え方が提起されています。
肥料が毒?、害?。
近代農法の行き詰まりを解く上で大きなヒントになりそうなので紹介します。
なぜ、無肥料栽培なのだろうか。実施農家の多くが「肥料は毒だ」「肥料で土が弱る」という。一般的に肥料の害として知られているのは、化学肥料の連用による弊害 である。土壌微生物(生物性)の激減や土壌物理性の悪化(単粒化)。有機肥料だとそのような弊害はないといわれているが、別な形で害を生むことがある。
有機物を未分解の状態で土に混入すると、それを分解するためにあらゆる微生物が旺盛に働く。このとき、分解程度が浅いほど、土壌病原菌に属するフザリウム・ピシウム・ネコブセンチュウなどの増殖を促し、発生する未熟ガスが作物の根を傷めてしまう。
ところで、土壌の状態の良否は、ベッド(ウネ)の土と、その上のマルチの内側につく水滴(マルチ水滴と呼ぶ)のpHの違いでわかる。通常の原野などでは、この両者間には差がない。しかし、施肥栽培を繰り返し、未熟な有機物の連用を繰り返しているようなところでは、ベッドの土よりもマルチ水滴のほうが酸性になっている。現在の日本のほとんどの耕作農地がこの状態にある。逆にいい土といわれる状態は、マルチ水滴の のほうが高くなる。無肥料栽培では、この状態の土になることが目標である。
また、「肥料は毒だ」といわれる最も代表的なことに、農産物中の硝酸塩(硝酸態チッソ)による人体への害がよく知られている。硝酸塩は人体に入ると、血液中のヘモグロビンと結合し、極度の酸欠状態と呼吸阻害を引き起こす(チアノーゼ現象)ほか、体内のアミノ酸と結合し、ニトロソアミンという発癌物質にまで変化する。近年このことが広く知られるようになり、減肥の必要性が叫ばれ始めたが、実際の現場レベルの農業においては収量の減少を懸念して、なかなか解決に動かないのが現状ではないだろうか。また、減肥対策の一環として化学肥料から有機肥料へと移行する産地も多く出てきたが、実際の収穫物中の硝酸塩を計測すると、かえって有機肥料施用時のほうが硝酸塩残留度が高く計測されてしまったという事例が数多く報告され始めている。
有機・無機を問わず、施肥に伴う過剰チッソは様々な障害を生み出す。土壌中の塩類濃度の上昇は浸透圧を高め、作物体から水分を逆流させる「根焼け」がおこるリスクや、硝酸塩が土壌に集積するとカルシウムやマグネシウムなどの塩基の流亡が促進されてしまうこともある。また、特に過剰チッソ施用は、農地の周辺水系の富栄養化や地下水の高濃度チッソ汚染にもつながっていることを忘れてはならない。無肥料栽培
「化学肥料の連用による弊害 」や「農産物中の硝酸塩(硝酸態チッソ)による人体への害」などは、ある程度我々にも認識されてきていますが、「有機肥料」にも問題があることや、肥料自体に問題がある、という視点は大きな認識転換を求められる内容です。
他にも肥毒に関するデータ-がありましたので参考として添付しておきます。
○肥料の逆効果
○実生ガーデニング、家庭菜園
○自然のたまもの
正国でした。
投稿者 totokaka : 22:37 | コメント (0) | トラックバック
2007年02月12日
米の生産調整
こんにちは。長谷です。
今年も米の生産調整を決める時期になりました。
水田の内、どれだけで米をつくるかを決めるわけです。
生産調整は、
米の生産量を調整する(減らす)ことで、需給バランスをとって、米価の安定を図る。
というのが大義名分ですが、
・そもそも、米価は下がりつづけている。(農家手取りの下落)
・地域によって、目標数値が異なる(傾斜配分)。
・生産者の法的義務(強制)はない。
ただし、 認定農業者や品目横断的経営安定対策の対象となるには、必須。
等、問題点も多い。
続きを読む前にポチっとよろしく。
投稿者 naganobu : 22:47 | コメント (0) | トラックバック
2007年02月11日
地力はおちないか?~無肥料栽培の原理(2)
植物自身が土作りをしているって!?一体どういうこと?
と、早く続きが知りたい小松です。
引き続き、「無肥料栽培(有機農法の、その先の世界へ・・・)」から引用です。
~無肥料条件では減らない地力と植物自身が行う土作り~むむ?ムシゲル?
実際に、植物自身が土作りをするというのはいったいどのようなことなのでしょうか。植物は光合成産物を自らの葉を大きくし、実をつけ、根を伸ばすためなどのようなことのために利用しています。普通ではそこまでしか観察できないことなのかもしれませんが、実はみえないところで大切なことを植物は行っています。それは、光合成産物のうち、特に根に移行された光合成産物は根の細胞の成長と呼吸によって消費されるだけで終わるのではなく、実はその多くが根の表皮細胞で高分子の有機物(ムシゲル)の形に再合成され、根の外にどんどん排出されているのです。
同時に根の細胞そのものは根の枯死・脱落細胞などというかたちで土中へ排出されています。このように根から土に放出されているあらゆる有機物の量は、植物全体の同化量の30%にもなるといわれています。
投稿者 komayu : 07:00 | コメント (3) | トラックバック
2007年02月10日
肥料の歴史
小松さんの投稿、「自然が教えてくれる事~無肥料栽培の原理」を読んで、
確かに
、考えてみれば自然界では、いつも当たり前のように植物が旺盛に茂っているなぁ~と不思議に思う
、しばたです。
今、農業をやっているとこれも当たり前のように肥料を施していますが、そもそも人為的に肥料を使うようになったのは、
いつ頃から?どのようにして?
という疑問も湧いてきました。
具体的にいつ頃からは、まだ分かりませんが、それについて記事がありましたので紹介します。
世界大百科事典より
【歴史】[欧米]
いつから肥料が農耕に用いられ始めたかを知ることはできないが,人や動物の糞尿 (ふんによう),動・植物の遺体,食物残藍(ざんさ) を土に施用すると,植物の生育が良好になることは経験的に古くから知られていたと思われる。焼畑農業のように,自然の土壌の肥沃度に依存して植物を栽培している時代には肥料はあまり必要とされなかったであろうが,ある場所に定着して同じ土地で農耕を営むようになると,土壌がしだいにやせるのを防ぎ,失われる養分を補うために経験的に効果の知られていた物質を肥料として土地に施用することに熱心になったであろう。人・畜の糞尿,山野草,草木灰,動植物遺体,あるいはこれらを腐熟させた堆遠肥 (たいきゆうひ) など,自然に得られる資材をいわゆる自給肥料として使用していた。古代ローマ人は前 200 年から後 100 年にかけてすでに輪作,石灰施用,遠肥,緑肥についての知識をもっていたといわれている。さらに農業が発展して,より多くの収量をあげたり,商品性の高い植物が栽培されるようになると,より効果の大きい肥料が求められるようになり,そのような肥料は商品として販売されるようになった。いわゆる販売肥料の普及である。 19 世紀初頭の 1802 年ころには A.von フンボルトによって,南アメリカのペルーで多量の海鳥糞の堆積物が発見され,ペルー・グアノとして輸入され広く販売されるようになった。 30 年ころからは,そのころチリで発見されたチリ硝石の販売,使用が行われている。
一方,植物の栄養になる養分はどのようなものであり,植物はそれを何から得ているかということに関する研究は, 16 世紀からヨーロッパで実験的な研究が進められてきた。しかし植物が無機塩と水を土壌から吸収し,炭素は光合成によって空気から得て生長しているということが明らかになったのは 19 世紀になってからである。すでに 1804 年に植物が光合成によって炭酸ガスを吸収していることはスイスのソシュールNicolas Thレodore de Saussure (1767‐1845) によって証明されていたが,なお植物は炭素その他の養分を土壌中の腐植から得ているという A.D.テーアらの〈腐植説〉が広く一般に信じられていた。
この腐植説に対してドイツのJ.F.von リービヒが,水と炭酸ガスといくつかの無機塩で植物は育つという〈無機栄養説〉を提唱したのは 40 年であった。 60 年にはザックスJulius von Sachs (1832‐97) が水耕法で植物を育て,窒素,リン,カリウム,硫黄,カルシウム,マグネシウム,鉄が必要なことを示した。さらに 20 世紀に入って 1954 年までに,銅,亜鉛,マンガン,ホウ素,モリブデン,塩素などの微量要素の必要性が証明された。
このように,植物が必要とする無機塩類が何であるかが明らかにされると,それを合成して肥料として施用する試みが始められ,人工的な化学肥料の製造と販売が行われるようになった。初め,リービヒはリン酸肥料の製造を試みたが,彼は肥料は土壌に施用されて,水に溶解し流されないようなもののほうがよいと考えたため,その肥料は効果が少なかった。またリービヒは,窒素は植物が空中から固定すると信じていたので,窒素肥料は不要と考えた。
これに対しイギリスのJ.B.ローズは,骨粉やリン鉱石に硫酸を作用させる方法で,水溶性の過リン酸石灰をつくり,その有効性を圃場 (ほじよう) 試験で示し, 1843 年には過リン酸石灰の生産,販売を開始した。また,ローズは有名なロザムステッド農業試験場の圃場試験で,窒素も肥料として必要なことを示した。マメ科植物の根が根粒菌との共生によって空中窒素を固定しているのが,ドイツのヘルリーゲル H.Hellriegel とウィルファルト H.Wilfarth によって証明されたのは 86 年である。 19 世紀末にはチリ硝石の埋蔵が少なくなり,窒素肥料の合成の必要性が叫ばれ,電弧法により硝酸が製造され, 1906 年にはフランク=カロー法による石灰窒素の工業的製造, 13 年にはハーバー=ボッシュ法による合成硫安の工業化が開始された。
カリ肥料は 1856 年にドイツのシュタスフルトでカリ鉱床が発見され, 61 年に塩化カリ工場がそこに設立されて生産を開始している。このころから,化学肥料がしだいに天然の有機質肥料に代わって主流を占めるようになる。そしてすでにこのころから,化学肥料が家畜や人間の健康を損ね,土壌を劣悪化するのではないかと主張する人々もあらわれたが,アメリカ合衆国下院の委員会で〈化学肥料のために人間または家畜の健康に有害な影響が生じたという確固たる証拠はなかった〉という結論も得られた。しかしこの論争は現在も続いている。
80 年代の後半からは施肥の最適な時期,割合,方法,肥料組成など,施肥法に関する研究が盛んになり,元肥や追肥についての知識の集積や,緩効性肥料,硝化抑制剤,複合肥料,液肥,葉面散布剤などの生産をもたらすことになった。
投稿者 takuya : 00:00 | コメント (0) | トラックバック
2007年02月09日
自然が教えてくれる事~無肥料栽培の原理
会議室の投稿で、無肥料栽培が気になり始めた小松です。
私たちは、お米や野菜を作る時に、当たり前のように肥料をやって、せっせと耕し、種を蒔いたり苗を植えたりしていますが、最近では「無肥料栽培」というものが、注目を集めています。私自身も言葉は聞いたことがあったのですが、さすがに“無肥料”では作物はできない(収量が上がらない)という思い込みがありました。
ですが、るいネットで「自然の摂理」というものを考えさせられるようになり、この無肥料栽培とつながるところがあるなあ、と感じています。
まず、「無肥料で作物ができるの?」という単純な疑問に答える意味で、
「無肥料栽培(有機農法の、その先の世界へ・・・)」から、「無肥料栽培の原理」を紹介したいと思います。
例えば火山灰で覆い尽くされた大地に次々と育つ草木の姿、また岩場にしがみつくように育っている岸壁の松などはなぜあれほどに勢い良く成長しているのでしょうか。ひとつは植物根の先端(根冠)から分泌される物質が岩石などを溶解させ微量ミネラルを植物に吸収させているからだと言われていますが、そこには一般植物生理学上で必要とされているほどの窒素リン酸カリなどは十分あるはずもありません。例え土があったとしても、川原の土手に育つカヤやヨシなども毎年膨大な生産を生み出しますが、同じく、そこの土壌中には十分な栄養素はありません。
飛騨高山の国分寺という古いお寺にある、樹齢1200年以上の大イチョウです。大変おおきな巨木ですが、樹勢が全く衰えることなく、毎年成長し続けています。枝の先端の葉まできれいな葉がびっしりつき、どの枝も勢いがあり、枯れているものは全くありません。お寺の敷地内であるため、まわりにはその木をとりまく木々もなく、もちろん森林のようなフカフカな腐葉土層もありません。毎年秋になると落ち葉は綺麗に取り除かれてしまいます。この木に関しては、落ち葉の循環ということはありません。
それでも毎年毎年大きく成長しています。まさしく無施肥、無農薬、無堆肥で成長しており、毎年成長を続けること事態不思議ですが、これだけの巨木を維持するだけでも、エネルギー量は膨大なはずです。
なぜ、当たり前の自然界では、いつもあたりまえのように植物が旺盛に成長しているのでしょうか。そして人はなぜ、畑だけに人為的に肥料を投入し、また肥料を入れ続けなければならないという不思議な現象を招いているのでしょうか。ここに無肥料栽培の原理の最も重要な視点が秘められています。
しかし、基本的なことを見直してみましょう。そもそも植物と動物は全く違った生き物なのです。
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投稿者 komayu : 00:55 | コメント (0) | トラックバック
2007年02月08日
2007年『自然体験学習教室』、申し込み受付中!
当ブログの「農業が持つ教育効果」について…でご紹介した、『自然体験教室』ですが、いよいよ『自然体験学習教室2007』の申し込み受付が2月8日から始まりましました。
4月15日の開講式に、たくさんの元気な子どもたちの笑顔を見れるのを、スタッフ一同楽しみにしています。
どんどん申し込んでくださいね^^)w
※申し込み方法など詳しくは、類塾の最寄の教室(iタウンページ)にお問い合わせください。
あらためて、この教室でどんなことを経験し学んでいくのかをご紹介します。
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投稿者 nanbanandeya : 21:16 | コメント (0) | トラックバック
2007年02月01日
農の魅力~食農教育から学ぶもの
【ふるさと教育応援団「ふるさと先生」の取組(農林漁業金融公庫)】
~子どもたちの農業体験を通して~
「食」と「農」の大切さが見直されてきている今日、農業に対する収穫の喜びや食の有り難さ等は、実際、体験して分かることが多いと感じます。現在、取り組んでいる「ふるさと先生」の活動は、生産者が子どもたちに直接、話をすることにより、農業の姿や生産者の思いをストレートに伝えるものであり、農業や地域に対する子どもたちの愛着は着実に高まっています。
(福岡県宗像地域は「地産地消」の取組が盛んな地域です。)

いま全国的に、こうした食農教育が行われています。
単に「お米ができるまで」や「カロリー、成分表」といった書籍等で学べる知識を超えて、大人と子供が収穫の喜びや食の有り難さの中身を 実感をもって語り合うことがでます。食農教育から感じる「農の魅力」はこの辺りにあります。




